惟神(かんながら)

惟神は、「かんながら」や「かむながら」と読み、また漢字としても随神と書くこともあります。ここでは、惟神で統一させていただきますね。

惟神とは、「神様の意(想い)に沿った」という意味があります。神様の元で命をお借りしている私たちが、神様の想いを感じ、人の道である、誠の道を実践していくことでもあります。

人の道・誠の道を歩むという意味で、神道では、古来より『惟神の道』という言葉が大切にされてきました。今の社会においては、目に見えないものや、神様という存在を心から感じ信じている人は少ない存在です。

ですが、大切なのは、神様を信じることではありません。誠の道を学び、それを生活の中で実践していくこと。このことが、もっとも大切なことです。

そういう生活の中で、色々な奇跡や目に見えない力を感じる中に、神様の存在や守護霊様の存在などを感じることにつながります。

惟神を万葉集に見る

葦原の瑞穂の国は惟神(かんながら) 言挙(ことあ)げせぬ国

この歌は、柿本人麻呂の歌の一部です。

現代風にいうなら、日本という国は、神様の意によって色々なことが起こっています。ですので、人が言葉にして、あれやこれや言うことの無い国です。

惟神に生きるとは。

現代に生きる人々は、国が悪い、社会が悪い、政治が悪い、あいつは悪いなど、自分を置いて周りが悪いという人が多いです。コロナが発生し、自粛警察という言葉もよく聞くようになってきました。

テレビを見ると、評論家やコメンテーターもまた、人を批判してばかりですし、ネット民もまた、中傷誹謗がすごく多いです。

惟神に生きるとは、『この世の全ては神様の意によって動いているので、人のことは神様にお任せしよう。悪い事をしたら神様が裁かれる。だから自分の生き方と在り方を見つめ、少しでも世の中を良くしていこう』そういう思いで、日々の生活をしていくことです。

そういう人が増えると、この世は素晴らしい世の中になると考えています。

神様は常に愛です。『良い事・悪い事』は、人が勝手にそういうレッテルを貼って評価しているだけです。本当に良いか悪いかは未来にしか答えはありません。そのように生きる事が、神様の大きくそして深い愛を知ることにつながります。